恋愛から遠く離れて、というほどのものでもない

「男女に友情が成立するか」という最近流行りの議論についてそれほど多くのエントリを読んだわけではない。なんとなくの感覚で「バックラッシュ!」の議論と地続きに読んでしまいそうになるが、まあそういう話でもないか。

http://d.hatena.ne.jp/wetfootdog/20060901/p1
http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20060903#1157269314

とりあえず個人の意見としてはこのあたりに共感する。

で、まあ、これから個人的な話なので、別に共感を得ようと思っているわけでもなければ、誰かを攻撃しようと思っているわけでもないけど、思っていることをつらつら書こうと思う。

僕はとりあえず「非モテ」に属する人間であると思う。20年間彼女と呼ばれる存在はおらず、云うまでもなく童貞だ。ファッションセンスはなく、服に使う金があったら本なりCDなりを買う。で、まあそういう自覚があるので非モテ系のエントリをブクマしたり、読んだりしているわけだが、どうも非モテ論壇に登場する人たちみたいな怨嗟とか彼女ができないこととかに関する切迫感とか、そういうものが決定的に足りないような気がしていた。他人ごとなのだ。

で、思った。自分は人を好きになれないのではないかと。likeじゃなくて、love。

前々から飲み会とかで適当に口にしてきたことではなあるが、どうも最近それが現実味をともなって感じられるようになってきた。で、ここで重要なのは、性欲はあるということだ。あります。セックスしたいです。

前からそうなのだが、グラビアとかにあんまり興味がない。興味があるのは全裸だけだ。水着とか下着とかを、性的なテーゼとしてとらえられない。強いて言うなら制服(セーラーとか)だけどそれはなんというかルサンチマンでしかないような気がする。一枚でも布があったらそれは性的な対象でなくて人間関係においてしか存在しないというか。

女性タレントで誰がかわいいとかそういう話題になっても、まったく答えられない。ある程度以上はすべて「かわいい」とか「きれい」とか思って、それ以上自分に沈殿することがない。ある程度見ていて、特徴的でないかぎり、女優とかグラビアアイドルとかの顔の区別がつけられないし、自分のなかで「こういうのが好み」という感覚も存在していない。

それと同じ理由で、たぶんホモセクシャルでもない。生まれてこのかたほれ込んだ男は幻水2のジーン様だけでございます。きもす。

「彼女ができる」ということについての喜びというものがあまり理解できなくて、「想像」するしかない。「想像」はできるから、小説とかでは書けるんだけど。それはフィクションでしかない。週末に自分の時間をつくれなくて、わざわざ奢ったりして彼女を喜ばせないといけない、そういううざったさしか「理解」できない。「一緒にいるだけでいいんだ」とか云われても、それが友人関係における感覚とどこが違うのかが、フィクションに置換した「想像」においてでしか感じられない。

 だからそればかり続いていたら、すぐにわたしは我慢の限界になっていたかもしれない。でも、もちろんそれだけじゃなくて――、たとえば週末にデートして、最後に夕焼けのなか、ちょっと人目につかないような路地裏で互いに頬へのキスを交わして、わたしが××の頬にキスしたときにわずかに身体を震わせて小さな溜息を漏らしたりする姿や、わたしの頬にキスをするためにつまさきで立って小さい唇を寄せる姿を見るたびに、やはりわたしはもう少しがんばらなければいけないように思ったりする。

こんなふうに小説に書いたことがあって(ちなみにこの小説は女性同士の恋愛を描いている。一時期百合にはまりこんだ理由もこのへんにあるのだろうか)、自分でもよく書けたと思うのだけど、でもこの先自分がこういう経験をするとは思えない。

胡乱な文章だ。

まだ本当に好きな人に出会ってないんだとか、いつの日か本当の恋愛を知ることになるんだとか、そういう言葉も浮かんでこなくはないんだけど、でもリアリティがない。なんか、そんな感じになる気がしない。

胡乱なままだし、おそらくどっかで矛盾しているんだけどけど、胡乱なままとりあえず締めたい。彼女はいいけど、セックスはしたい。エロゲーはエロシーンまでスキップします。体験版しかやったことないけど。

そんな感じだ。

恋愛って何が良いんだろうか。少なくとも恋愛(セックスなし)で得られる喜びというのは、友人関係で間に合うような気がするんだけど。それが恋や愛に基づいている必要性はどこにあるんだろう。

それとも誰かが偽悪的に言うように、恋愛はセックスの前段階でしかないんだろうか。